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ジャーナリスト伊藤詩織ロングインタビュー[matteレポート vol.3全文]

INTERVIEW
ジャーナリスト 伊藤詩織
聞き手 事業開発プロフェッショナル 吉澤和之

インターネット。それはコミュニケーションをリアルの社会から解き放ち、いつでも、どこでも、誰とでも繋がれるツールへと進化させた。またSNSは、自分の主義主張を世界中に発信できる場となり、マイノリティの声なき声を救う手立てにもなった。しかしその一方、言葉は一方向的に拡散され、何のフィルターも介すことなく溢れ続け、その結果、人を傷つける武器としての側面も持つようになる。温かさのなかに含まれた、氷のように冷たいトゲ。その痛みは、刺さった人にしか分からない。そのトゲは一体何を傷つけ、社会から何を奪っているのか。matteレポートvol.03では、ジャーナリスト伊藤詩織さんにインタビュー。彼女がこれまで受けてきた誹謗中傷の実体験から、健全なネットコミュニティ社会を目指すための問題点を解き明かす。

 *この記事は、matteレポートvol.03の内容を全文転載しております。

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言葉の矢は、あらゆる人の心に突き刺さる

吉澤|ネット社会は、人々を孤独から救う一方で、誹謗中傷という大きな問題も抱えています。ご自身でもとても辛い経験をされてきたと思います。率直に、今その問題に対してどのような想いを抱いていますか?

伊藤|日本の社会のなかで、性被害について公の場で話すということに対して、ある程度の誹謗中傷があることは想像していました。被害を受けている側が責められる土壌があるのも感じていたし、ある一定の冷たい目線があることも覚悟していました。けれど実際には、起き上がれなくなってしまうくらい、とても大きな精神的負担を抱えてしまいました。
顔が見えないたくさんの人たちから心無い言葉や暴力的な言葉を投げつけられる。最初にこの事を体感したとき、体がどんどん冷たくなっていくようでした。

ネガティブな声ってどうしてもすごく目立ってしまうと思うんです。そこにはある種の大きなエネルギーがうごめいていて、そのエネルギーを自分1人で抱えることはとても辛くて、耐えられるものではありませんでした。

誹謗中傷は、批判とは違う性質を持っています。批判というのは、何かを改善したい、何かに向かって議論をするというのが前提としてあると思いますが、私に対する言葉は、ただ私の尊厳を傷つける言葉ばかりでした。一方的に飛んでくるその言葉の矢に対して、何もすることができず、ネットのなかでそうした言葉がどんどん蓄積されていくんです。


吉澤|想像を絶する辛さだと思います。でも、詩織さんは立ち上がり、勇気を持って声をあげてきた。何がそうさせたんですか?

伊藤|一番自分の中で大きな出来事は、ある高校生の女の子の相談でした。彼女が痴漢の被害を受けて家族に相談しようと思っていたとき、ネット上にあふれていた罵詈雑言をみて怖くなってしまい、家族への相談をやめてしまったんです。特に、私に対する中傷コメントをみて、すごく苦しくて、怖い、と。私に対して投げつけられた言葉の矢は、自分だけでなく、他の人の心にも深く突き刺さるということを痛感しました。

誹謗中傷は、人種やセクシャリティというような属性に対する攻撃という側面も持ち合わせています。だから、自分だけが目を瞑れば良いというものではなかった。私の場合は、それを裁判というアクションを通じてその問題にハイライトを当て、世の中に問題を提起し、人の尊厳を傷つけることは良くないよね、という当たり前のことを、一歩ずつでも良いので提示していきたいと考えました。

吉澤|人の尊厳を傷つけるのは良くないーこれは当たり前の倫理観なはずなのに、ネット社会ではこの常識が通じない人がいます。

伊藤|ネット中傷の多くは、一方通行です。言葉を解き放って、終わり。そこに対話や議論という前提がありません。「で、私にどうしてほしいの?」という疑念を抱いていたけれど、矢を放ったあとは何も残されていないんです。ただただ、その時の不満をぶつける標的として私がいるだけなんです。

SNSでは、誰でも簡単に、どんな言葉も放つことができる。でも、後先を考えようとしない。中傷した先にある責任や、何が起こるのかという想像力が働かない。だから、標的を見つけたら、一斉にその攻撃に加担してしまうのではないでしょうか。

吉澤|村八分に似ていますね。少しでも目立つ動きをすれば、結束して制裁を加えようとする。

伊藤|それが、ソーシャルネットワークの悪い部分かもしれません。もちろん、多様な意見があることは当然で、意思表示をしたり、自己主張することは悪くありません。けれど、明らかな誹謗中傷と思われる言葉は、おっしゃるように、ネガティブな感情を乗せて一気に広がっていきます。

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茶色の朝を迎えないために

吉澤|もはや、議論することを放棄している印象があります。自分が正しいという誤った正義感に固執し、同調圧力をかけているような。

伊藤|周りの意見が聞こえなくなることは、すごく怖いことだと思います。もっと健全に、もっとオープンに話し合えるようなプラットフォームであるべきです。どちらかというと、私たち日本人は本音を言わない、意見を言わないような環境で育ってきました。だから、ディスカッションというものに対してあまり耐性がないのかもしれません。留学先のイギリスと比べると、それは強く感じます。誰かが主張する意見に対して、それは違うよって言うと、その人の全てを否定しているような空気になる。合っていようが、間違っていようが、建設的に議論するということの大切さを感じています。

「茶色の朝」っていう本を知っていますか?(*100万部を突破したベストセラーのフランスの寓話)茶色はもともとナチスの服の色で、ヨーロッパでは茶色というと極右や全体主義をイメージすることがあります。自分が住んでいるパリの世界が、知らぬ間にどんどん茶色になっていく様子を描いた寓話で。何も考えることをせず、世の中の動きや風潮に従っていたら、いつの間にか世界が茶色に染まっていて、自分もその世界を受け入れてしまうんです。気が付いたときにはもう手遅れになっている。

吉澤|思考が停止してしまうことの恐ろしさを感じますね。社会情勢について「何も考えない」「疑いを持たない」というのは、茶色に染まることと同じことになってしまう。

伊藤|同じように、誹謗中傷の発言があったときに、何も言わないということは、その言葉の存在を認めていると捉えられかねません。果たしてそうした誹謗中傷の発言を素通りして良いのか。見過ごすことは簡単だけれども、どこかで自分の生活に跳ね返ってきてしまうことだなと感じます。とても複雑な問題です。

吉澤|この辺りは、人々のメディアリテラシーをどう高めるか、という議論も関わってきますね。

伊藤|ネット上では個人の発言が大きな影響力を持つことがあり、情報の浸透もとても早いですよね。しかも、そこにはファクトチェックがなくて、いかなるフィルターも通さずに情報がそのまま拡散されてしまいます。こうしたノーフィルターの状態でSNSをメインのメディアとして利用してしまうことに対しては、危機感を感じています。言論の自由が謳われているアメリカでさえも、トランプ氏の発言と発言の制限が大きな社会問題になっています。私たちはソーシャルネットワークをどう活用し、どうやって情報を受けるべきなのか、法改正も含めて、しっかり考えていかないといけません。

吉澤|プラットフォーマー側も、誹謗中傷の問題をIT技術を通して解決しようと試みています。GoogleやTwitter、Facebookなどは、何かリスクのある発言をしようとすると、投稿する前にポップアップで警告を表示して、再考を促す仕組みをテストしています。adishも昨年「matte」(https://matte.ai/)というプロダクトを開発し、同じような投稿再考ツールの提供をスタートしました。

伊藤|言葉の矢は、誰に、いつ、どのように刺さるのか分かりません。それに、言葉自体、新しいスラングが生まれたりその意味が変化したりもするので、法規制だけ強くしても、正直すべてを解決することにはならないのも事実です。そうしたITの技術によって、仕組みで解決しようとする試みは、とても大切なことだと思います。言葉を発する人が、一歩立ち止まって考える機会を作る。これはとても有効だと思います。

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次の世代への架け橋として

吉澤|次の世代のためにも、健全なネットコミュニティの社会、新しいSNSのありかたを作っていくことは、我々の世代の責務であると感じていますが、こうした活動を大きくするには、一人一人が立ち上がり、議論を活性化させていく必要があります。詩織さんはその前線に立ち、堂々と記者会見をしたり、裁判で提訴したりと、リーダーシップをとりながら戦っています。こうした活動は、同じような悩みをもつ人たちにとって、とても励みになっていると思います。

伊藤|本当は、自分にも生活があるし、できれば裁判とかはやりたくありませんでした。自分のプライベートの時間が制限されることにもなるし、批判も受けるし、身の危険も考えられた。

けど、苦しいことには変わりがなくて。これまでも思い詰まることがたくさんあって。いろんなことを乗り越えてきたはずなのに、自分の人生を終わりにしようと思っていたぐらい、私は自分の中の心のバランスが取れなくなっていました。木村花さんの悲報を聞いたとき、その苦しみを想像すると身につまされる想いでした。苦しくて苦しくて、どうにかこの苦しみを終わりにしたいという気持ちがあって、そうすると、その先が見えなくなってしまう。

けど、必死に生きて、なんとかバランスを保ちながらここまでやってきた。だから、常に当事者として表に出ることは、正直とても辛い。けれど、ありがたいことに私を支えてくれるチームが集まってくれて。そこから、誹謗中傷に対してどう向き合っていけば良いか、どう対処していくべきか、そのノウハウを少しずつ掴むことができて、同じ悩みを抱えている人たちにシェアできるのではないかと考えて、前に進んだんです。

吉澤|前を見ることで、きっと今までと違う世界が見えてくる、そう信じていたいですね。

伊藤|イソップ童話に「少年たちとカエルたち」という話があって。そのお話とこの状況はとても似ているんです。カエルの世界は池の中にあって、ある時男の子たちが、何も考えず、ただの遊びとして池に石を投げるんですね。すると、何匹かのカエルはその石によって死んでしまう。そこで意を決してカエルが水面から顔を上げ、子供たちに「きみたちには遊びかもしれないが、僕たちにとっては命取りなんだよ」と言うんです。

もし私が、世界がこの池しかなくて、どんどん石を投げられて、叩かれる状況だったら、多分ここに私はいなかったと思う。時々その池から出ることができたから、なんとか生きてこられた。そう思うと、今置かれている場所が池に限られてしまったら、助けを求められない状況にある人にとっては、死という選択肢でしか回避できないほどの苦しさだと思うんです。

特に若年層の人たちには伝えたい。外の世界には、いくらでも助けを求められる環境があるよ、世界はとても広くて、いろんな出会いがあるよ、と。一人の大人として、次の世代に繋げるためにも、活動を続けていきたいと思っています。

吉澤|いじめや誹謗中傷に悩んでいる子たちは、たくさんいらっしゃると思います。少しでも若い子たちの負担が無くなるような社会にしてあげたいですね。

伊藤|ネットの世界はすごく広くて、一瞬で言葉が広がってしまうし、本当に怖い部分はあるけれど、それでも、いろんな世界があって、いろんな人たちがいて、相談できる、信用できる人が必ずその中にはいるんだということを、知ってほしいです。

解決策はあるんです。相談すること自体がとても難しいことではあるんだけど、苦しかったら、苦しいってできるだけ言って欲しい。きっと良い世界はあるから。同時に、近くで誹謗中傷を受けている人がもし周りにいたら、傍観はしないで欲しい。おかしいという声をあげたり、削除要請をしたり、とにかく何かしら行動を起こしてほしい。

吉澤|社会全体で取り組むべき課題ですね。コミュニティ利用者、行政、プラットフォーマー、全員の責任として。

伊藤|ネットがあるからこそ、繋がれる部分もあります。海外の友人と気軽にビデオチャットできたり、仕事の面でもリモートでできるようになって、欠かせないインフラになりました。だからこそ、誹謗中傷の問題に対しては、敏感にならなければならない。SNS、インターネットの世界において、言葉はある日、鋭い矢となって誰かに刺さってしまうことがあります。もっと、対話を育み、繋がりを望むような世界であって欲しい。一方的に放たれてしまうものであってほしく欲しくはありません。

吉澤|ありがとうございました。


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