佐々木俊尚氏に聞く、 誹謗中傷・ネット炎上リスクとの向き合い方
事実無根の風評被害、ふとしたきっかけで突如巻き起こるSNSの炎上、そして特定の人や集団に対する誹謗中傷・・・デジタル社会は確かに世の中を便利にしたが、一方であらゆる負のエネルギーを連鎖させ、社会に暗い影を落とすこともある。そもそもネットにおける誹謗中傷はなぜ゙起きてしまうのか、そしてなぜ拡散されてしまうのか。社会全体がそこに立ち向かい、対策を講じるためには、しっかりと論点を整理しておく必要がある。 特集1では、ジャーナリストの佐々木俊尚氏をお迎えして、ネット炎上といったデジタルリスクとどう向き合うべきなのか、インタビューを通して探っていきたい。
ジャーナリスト / 佐々木俊尚氏
インタビュアー / 事業開発スペシャリスト吉澤和之
誹謗中傷、その行動原理と本質的課題とは
吉澤 最近、誹謗中傷による痛ましい事件が芸能界を中心に目立っていますが、ネット上の誹謗中傷や炎上はどうして起きてしまうのか、そこにはどんなメカニズムが働いていると思われますか?
佐々木 「衆愚化」というキーワードが隠されていると思います。2000年代、当時のSNSといえばブログや mixiくらいでしたが、その頃は誹謗中傷というのは今より少なかった気がします。なぜならユーザーの質が均質な状態だったからです。少数のグループで、特定のテーマを話題にしているとコンテキストがしっかり共有されているから、変な受け取り方をする人が少ない。しかし、利用するユーザーが増えると、コンテクストを読み取れない人が出てきてしまい、一部の人たちが、ある一部分だけを切り取って、炎上の火種を作っていく。木村花さんの事件も、そうしたコンテクストの共有が不十分だったことが悲劇を招いているんだと思います。
吉澤 誹謗中傷のコメントを投稿する人たちって、実際どういう人たちなんでしょうか?
佐々木 2000年代始め頃は、ひきこもりやニートといった人たちが2ちゃんねるのような一部のプラットフォームでやっているんじゃないか、というイメージが持たれていました。しかし研究を重ねていくと、実はそうではないことが分かってきたんです。経済学者の田中辰雄慶応大教授らの研究によれ ば、年収が高く子供のいる男性に誹謗中傷を繰り返す傾向が高い、ということが分かっています。
吉澤 ストレスを多く溜め込んでいると、引き金を引きやすいということですね。
佐々木 ストレスのはけ口としてSNSを利用しているんだと思います。1人〜数人が悪口を投稿すると、投稿していいんだと勘違いして加担してしまう。こういった人たちは、黙殺するか、あるいは何らかの形でフィルタリングしていく必要はあるんじゃないでしょうか。
吉澤 される側からしたら嫌な気しかしないですしね。
佐々木 たった数人の書き込みでも、あたかもそれが世間一般の評価のように映ってしまうこともあるし、まるで全員に攻撃されているような気持ちになってしまう。誹謗中傷を受ける側からしたら、とても辛いことです。
吉澤 お店のレビューで「1」が付いていると、たとえその評価がごくわずかだったとしても、心理的には結構インパクトがありますよね。それと同じでしょうか?
佐々木 そうですね。あまりにも我々は、そういう悪口に慣れていないということなんだと思います。
吉澤 解決策としては、どういうアプローチをとるべきなのでしょうか。
佐々木 リアルな場では起きないことがネット上では起きています。ここに着目すべきです。例えば、電車に乗っている女子高生が、酔っ払ったおじいさんに文句を言われているのを見かけた場合、周りのひとたちはどういう行動をとると思いますか?たいていは見て見ぬ振りをするか、止めにかかるか、どちらかです。でも、ネット上だと、その罵声に加担する人が出てくる。さらに面白そうだからと群がってきてしまう。「言ってもいいんだ」と勘違いして、相乗的に加担する人が増えて、結果炎上してしまうんです。人間の本能的な行為なのかもしれませんが、プラットフォームの不備でもあります。解決していくには、システムのアーキテクチャそのものを変える必要があるんじゃないでしょうか。
吉澤 アーキテクチャの観点でいうと、実名制にすべきではないか、という議論もありますが、その点はいかがでしょうか。
佐々木 実名だからといってなくなるものではないです。たしかにFacebookは炎上しにくいと言われているけど、悪口を書き込む者もいます。問題なのは、悪意が顕在化してしまうアーキテクチャそのものです。最初は健全なコミュニティだったとしても、少しずつ悪意を表す者が出てきて、それが増えると普通の意見が言いにくくなってしまう。いわゆるサイレントマジョリティの声なき声をどう浮上させるか、というのがポイントだと思います。
吉澤 サイレントマジョリティは火消ししたくても怖くて手が出せなくなる、ということはありそうですね。
佐々木 炎上を黙って見ているだけでは、炎上の被害者からすれば誰も味方してくれないということになるが、一方で火消ししたくても自分が今度は被害にあう可能性があるため、怖くなってしまう心理もよくわかります。自分の経験でいうと、そういう人たちは他の方法で私をフォローしてくれます。全く違う場面で「いつも応援しています」と言ってくれたり、私の意見に対していいねを押してくれたり。
吉澤 リアルのコミュニティにも通じるものがありますね。
佐々木 人はオンラインオフライン問わず、居心地の良いコミュニティを求めます。そのために、クローズドなコミュニティとオープンなコミュニティが゙入れ替わり流行しているんです。昔のパソコン通信の時代はクローズドな環境で居心地が良かったが、謎のルールがたくさん出てきて、面倒になってきてしまい、そこに2ちゃんねるが流行し、言いたい放題言えるようになった。風通しはよくなったが、一方で殺伐としすぎて今度はmixiのようなクローズドな環境にフォーカスされていく。そこが行き詰まると今度はツイッターが出てくる、といった流れです。リアルでも同様です。いまオンラインサロンのような形態が流行しているのも、オープンでフリーな環境で育ってきたミレニアル世代の人たちが、 逆にクローズドな拠り所を求めた結果ではないでしょうか。
吉澤 最後に、今後我々はどうSNSと向き合うべきなのか。その辺りについてお伺いしたいと思います。まず゙は教育という観点だと、いかがでしょうか。特に未成年者に対しては、利用自体を規制するということが1つの議論になっています。
佐々木 SNS自体を使うな、というのは少し無理がある気がします。好奇心旺盛ですし、いくら規制しても結局使ってしまうでしょう。性教育と同じように、しっかりとその本質と適切な使い方を学ばせていくということが必要ではないでしょうか。
吉澤 どうやって教育するかというのも課題の1つですよね。
佐々木 教える側にそもそもネットリテラシーがない、というのは大きな問題です。ツールの使い方を教育したところで、どんどん新しいものが出てきては廃れるわけで、よほど最先端を走る人じゃないと難しい。もう少しネットやSNSの仕組みについて、その構造を理解させないといけない。SNSの使い方ではなく、SNSとは一体何なのか。そこを教育すべきです。バカッターというのが一時期ありましたが、何でああいうことをするかというと、何やっても内輪のネタだと思い込んでしまっているからです。だから、仲間うちのノリでコンビニのアイスケースに入って悪ふざけしていたら、実は世界中で見られているということになる。
吉澤 社会とSNSのつながりを明らかにすべき、ということですね。
佐々木 そうです。SNSはいまやテレビよりも影響力を持っています。にも関わらず、いまだSNSとは何なのか、その認識は明らかになっていない。もう少し本質的な議論をしていかないと、LINEでいじめをやめようと言ったところで止まらないんです。
吉澤 そうなると、SNSは性悪説に基づくべきなのでしょうか?
佐々木 難しいところです。というのも、誹謗中傷をしている人たちの中には、自分を悪いと思わず、自分自身の正義感で行動しているケースもあります。正義感に満ち溢れた状態で行なっているわけですから、かえってたちが悪い。SNSの本質を教育していくと同時に、やはりプラットフォーム側で、誹謗中傷や罵詈雑言をフィルタリングすることも必要ではないでしょうか。
吉澤 本質的な議論、教育とともに、アーキテクチャの見直しも迫られている、ということですね。ありがとうございました。
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