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ソーシャル・キャピタル論から「いじめ」を紐解く

アディッシュの戦略を担当している小原です。

私たちは、「つながりを常によろこびに」というミッションを掲げ、ソーシャルメディア上で人と人がつながるからこそ起きる課題を解決したいという思いで事業を展開しています。私たちが提供しているサービスのひとつに学校非公式サイト対策のスクールガーディアン事業があります。

今日は、いじめが発生する一側面を、「ソーシャル・キャピタル論*」で論じられているネットワークから考察してみます。

* ソーシャル・キャピタル論...社会学の社会関係資本論のこと

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さて、皆さんは、どのような学生時代を過ごされたでしょうか?

ぜひ小学校・中学校の頃を思い出してみてください。

密なネットワーク~暗黙知・規範が重視される世界~

小学校・中学校と、自分の住んでいる地域の学校に通ったとします。そして、そのまま地元の高校に進学したとします。地元の学校に通うということは、小学校中学校時代とメンバーが変わらず、さらに毎日同じ人たちと顔を合わせる機会が多くなるので、自然と関係性は密になります。密なネットワークを持つコミュニティが形成されます。

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密なネットワークの特徴は、暗黙知・規範です。

例えば、全く知らない人と作業をするときはいちいち示し合わせをしなければなりませんが、密なコミュニティの人との作業であれば、既に暗黙知・規範が形成されており、スムーズに作業を進めることができるでしょう。阿吽の呼吸ってやつです。

しかしながら、密なネットワークは、ダークサイドに陥りやすいという側面を持っています。新参者を拒んだり、外の情報を受け入れず、コミュニティ内での序列が重要視されてしまいます。仮に、その暗黙知・規範が実態にそぐわない悪いものだったとしても、それを守らないと、コミュニティを壊す者として白い目でみられてしまうのです。コミュニティのルールに逆らいづらい空気ができてしまうのですね。

さらに、ひとつのコミュニティにしか参加していない人にとって、そこから外されることは恐ろしいことです。唯一のコミュニティから外れたら孤独に陥ってしまいます。だからこそ、おかしな暗黙知・規範であっても、無理して守ってしまう。さらに、コミュニティの暗黙知・規範を侵した人に徹底的に攻撃を加えることで、自分のコミュニティへの忠誠をコミュニティに所属している人たちに認識してもらうわけですね。村八分の仕組みです。

子どもにとって学校は、家族を除いて人とのつながりの多くを占める場所です。その学校で形成される密なコミュニティに上手く属せないと、逃げ場がなくなってしまいます。密なネットワークであることのつらさはここです。

疎なネットワーク~つながりに隙間がある世界~

密なネットワークに対して、疎なネットワークというものがあります。例えば、習い事に通った場合、密なネットワークとは別の”習い事”というネットワークにも参加することになります。

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複数のコミュニティに参加することで、ネットワークに広がりが出ますよね。たくさんのコミュニティに参加すれば、ひとつコミュニティに大きくとらわれることもなくなるのです。このように、様々な人がそれぞれ複数のコミュニティに参加することによって、人と人とのつながりの構造に隙間ができやすくなります。そのため、疎なネットワークと呼ばれます。

疎なネットワークは、情報収集をするのに最適だったり、イノベーションが生まれる素地として優れています。なぜなら、密なネットワークでは得られなかったような新しい情報に接しやすいからです。また、密なネットワークと違って深刻なダークサイドがありません。
(あるとすれば、情報伝達コストの大きさ。やはり、はじめましての人とは共通認識がないのでコミュニケーションが少し面倒になりますよね)。

密なネットワークと疎なネットワークのバランス

私の場合ですが、中学・高校時代を思い出してみると、まさに上記に当てはまってます。

中学校は、小学校のときとほぼ同じメンバーでした。先輩後輩と顔を合わせる部活以外で、新しい人と出会う機会がない状態。そういった限られた人間関係だったからこそ発生していたいじめもあったと記憶しています。

しかし、高校時代はいじめはありませんでした。ネットワークに広がりがあったと思います。私が通っていた高校はかなり変わったところで、勉強に尽くしている人は少なかった印象があります(自分の周りだけかもしれませんが。。)それは学校に規制がなかったからだと思っています。髪の色、バイト、バイク等も禁止されていませんでした。基本的に、先生が生徒に対して何かを押しつけることはなかったし、そうしてはいけないという校風でした。だからこそ、学生たちには自由があり(自由の履き違えもありましたが、それを学ぶ場でもあったと思います)、学校内で様々なネットワークに参加していました。私も複数のコミュニティに所属していましたし、他のコミュニティにも気軽に参加できました。
疎で流動的なネットワークが学校内で形成されていたから、今までつながりがなかった人を受け入れるのに寛容的であり、いじめという行為が発生しなかったのだな、と振り返ります。

ならば、すべての原因は密なネットワークにあるのか

密なネットワークは、決していらないものではありません。むしろ必須です。何かの大きな目的を果たすときに1人ではできないことが多々あります。仕事も1人では出来ませんし。同じ目的を持つ人たちが集まり、協力して動いていくことが必要なのです。それが密なネットワークです。

そう思うと、小学校・中学校で密なネットワークが必要となるのは、クラブ活動や運動会くらいではないでしょうか。それ以外で、常に同じネットワークに居続ける必要はないのです。それなのに毎日同じ人たちと接していなければなりませんよね。

基本となるクラスはありつつも、授業を選択できるようにして、授業ごとに違う人と顔を合わせるような学校もあるようですが、密と疎のネットワークの観点で考えてみると、良いなと思います。また、学校は密なネットワークだったとしても、学校以外にも外のコミュニティに積極的に参加していく、もしくはそのようなことが可能な設計をしていくことも出来ることかもしれません。

密なネットワークと疎なネットワークのバランス

密なネットワークと疎なネットワーク、どちらが良い悪いということではなく、うまく両方を取り入れていくことが重要です。密なネットワークに偏った学校生活に、学校以外の疎なネットワーク要素を足すことで、いじめの発生につながるような雰囲気や状況を作らないことに寄与できるかもしれません。
インターネットが生まれたことで外のネットワークへの接続がしやすくなったことも、ネットワークの観点からは良いことだと思います。

一方で、ソーシャルメディア上のネットワークでも、誹謗中傷などが発生したり、いいねなどの自分への評価のようなものが可視化されることで、しんどい場にもなってしまっています。オンラインでつながったことで事件やトラブルに巻き込まれてしまう可能性もあります。

弊社はそのような場の見守りであったり、いじめ通報窓口を提供していますが、いじめが発生するもっと手前でデジタルの力を活かしていじめやトラブルを回避出来ないか模索し取り組んでいけたらなと思っています。

アディッシュでは、「つながりを常によろこびに」をミッションに掲げ、学校非公式サイト対策事業や、企業向けのモニタリング事業を運営しています。
ぜひ一緒に、心地の良いコミュニケーションがあふれる良い世界をつくっていきませんか?

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